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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)1192号 判決

原告

中島徹

右訴訟代理人

渡辺忠雄

被告

ソニー株式会社

右代表者

井深大

右訴訟代理人

田辺恒貞

小林資明

阿部隆彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

一  原告

1  被告は、アイワ株式会社に対し、金二〇〇〇万円およびこれに対する昭和四五年二月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文同旨の判決。

第二  原告の請求原因

一  原告は、昭和四四年二月四日松本徳久からアイワ株式会社(以下訴外会社という。)発行の株式五〇〇株を譲受け、その株券の引渡を受けた。

二  訴外会社は同年一月一〇日取締役会において、一株の額面金五〇円の記名式普通株式一二〇〇万株の新株を一株金七〇円の発行価額で発行し、その全株の引受権を被告に付与することを決議したところ、被告は右決議にもとづき、同月三〇日右引受権の付与を受けた全株について株式の申込をなし、一株につき金七〇円の株金の払込を了した。

三  しかしつぎの点を考慮すると、右新株の公正な発行価額は一株金一三七円七五銭とするのが相当であり、被告の引受けた発行価額一株金七〇円は著しく不公正なものというべきである。

1  取締役会で右新株発行の決議のなされた日の前日である同年一月九日の東京証券取引所における訴外会社の株式の終値は一株金一四五円であつた。

2  右新株発行の発表後、訴外会社の同取引所における株価(いずれも一株。以下単に株価ともいう。)は、例えば、同年一月一六日高値金一六七円、同年五月七日前場終値金三〇二円、同年七月二二日終値金三三〇円、同年一〇月二九日終値金三五八円、昭和四五年一月六日終値金三四〇円のように上昇を続けた。

3  訴外会社の株式は浮動株が多く、市場性が豊かで、右新株発行の決議当時市場人気が沸騰していた。

4  訴外会社は昭和四三年一一月期において年間約八〇億円の売上げがあり、無配であつたものの黒字決算で、その有する高度の技術は種種の企業から狙われていた。

5  新株の公正な発行価額は、発行会社の株式が市場に上場されている場合は、単に純資産額によつて決するべきではなく、市場価額の一五パーセント引の範囲内で決定すべきである。けだし、市場価額は多少の程度の差はあつても純資産額を折りこみずみであり、純資産額によつてのみ決定するとすれば、昭和四六年四月三〇日における被告の株式(一株につき、市場価額金三〇六〇円、純資産額金四四六円)のように市場価額との間に大きな隔りをつくることになる。また新株発行前一年間の平均株価は、何ら発行価額との関連を有しないというべきである。

6  したがつて、右新株の発行価額は、一株につき、取締役会の決議の前日の市場価額である金一四五円の五パーセント引きの金一三七円七五銭とするのが公正であり、その約二分の一である金七〇円とするのは著しく不公正である。

四  被告は、訴外会社の資金不足に案(編注・乗の誤記か)じ、いわゆる資本参加してその支配権を獲得すべく、訴外会社の代表取締役池尻光夫と相謀つて右のような不公正な発行価額で新株を引受けたものである。

五  よつて被告は訴外会社に対し、公正な発行価額一株金一三七円七五銭と右引受価額一株金七〇円との差額に相当する金八億二七五〇円を支払う義務がある。

六  原告は、昭和四五年一月六日到達の書面をもつて訴外会社に対し、被告を相手どつて右差額金の支払を求める訴を提起するよう請求したが、訴外会社はこれに応じない。

七  よつて原告は、被告に対し、右差額金のうち金二〇〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和四五年二月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を訴外会社に支払うことを求める。

第三  請求原因に対する被告の答弁および抗弁

一  請求原因第一項の事実は知らない。

二  同第二項の事実は認める。

三  同第三項の主張は争う。

1  同項1および2の事実は認める。

2  昭和四三年五月期の決算に関する財務諸表による訴外会社の純資産は金七億六四五四万円であり、これを訴外会社の当時の発行済株式総数一二〇〇万株で除した訴外会社の一株当りの純資産は六三円七一銭である。右財務諸表中の資産には不良債権や過大評価された資産が計上されており、これを控除すると純資産は約金五億六〇〇〇万円、一株当りでは金四七円弱となる。

3  訴外会社は、昭和四三年六月二九日、同年五月期を従来の年一割の配当から無配にする旨を発表したが、同日の株価は金五〇円であつた。ところが、その後株価は、業績が好転しないにもかかわらず徐徐に上昇し、同年一二月にいたつて急騰し、昭和四四年一月九日原告主張の値段を示すにいたつた。この株価上昇の原因は、当時訴外会社について被告その他の企業による株の買占め、業務提携出資等の噂が流れ、投機的な買手が集つたためである。

したがつて昭和四四年一月九日の株価は、訴外会社の株式の適正な価値を示していない。

4  訴外会社が年一割配当を維持していた昭和四二年六月二八日以降の一年間の毎取引日終値の平均株価は金七〇円九九銭である。

5  新株の公正な発行価額は、一般に価額決定当時の市場価額、会社の資産状態、収益力および市況の見通し等を考慮して決定すべきであるが、被告の資本参加が期待されて騰貴した昭和四四年一月九日の市場価額を基準として被告引受の新株発行価額を定めるのは適当ではなく、訴外会社の資産状態および被告その他の企業による訴外会社テコ入れの噂が流れる以前の平均株価を考慮すると、一株金七〇円の被告引受発行価額は公正なものというべきである。

四  同第四項の事実は争う。

五  同第六項の事実は認める。

六  仮りに、原告がその主張のとおり訴外会社の株式を譲受けて株主になつたとしても、原告の持株は訴外会社の発行済株式総数二四〇〇万株の0.002パーセントにすぎず、原告は何ら利害関係がないのに、専ら訴訟を提起する目的で株式を取得したのであるから、本訴請求は権利の乱用である。

第四  抗弁に対する原告の答弁

一  被告の権利乱用の主張は争う。

第五  証拠〈略〉

理由

一〈証拠〉を総合すれば、原告は、昭和四四年二月四日松木徳久から訴外会社発行の株式五〇〇株(一株額面金五〇円)を譲り受け、その株券の引渡を受けたことが認められ、これに反する証拠はない。

二訴外会社が同年一月一〇日取締役会において一株の額面金五〇円の記名式普通株式一二〇〇万株の新株を発行価額一株金七〇円で発行し、その全株の引受権を被告に付与する旨決議したこと、被告が右決議にもとづき、同月三〇日右引受権を付与された全株について訴外会社に対し株式の申込および一株につき金七〇円の株金の払込をなしたことは当事者間に争いがない。

三そこで被告の引受けた一株金七〇円の発行価額が著しく不公正なものであるか否かにつき判断する。

1  訴外会社の昭和四四年一月九日東京証券取所における株価が金一四五円であつたことは、当事者間に争いがなく、原告は、右の株価を前提として、その五パーセント引きの金一三七円七五銭をもつて本件新株の公正な発行価額とし、その約二分の一に過ぎない金七〇円の発行価額は著しく不公正であると主張する。

ところで、新株の公正な発行価額とは、取締役会が新株発行を決議した当時において、発行会社の株式を取得させるには、どれだけの金額を払込ませることが新旧株主との関係において公平であるか、換言すれば、当該企業の有する客観的価値により決定されるべきであり、発行会社が上場会社の場合には、市場価額が通常は資産の内容、収益力および市況等を考慮した企業の客観的価値を反映して形成されるものであるから、当時の市場価額に新株が発行された場合の市場における消化の可能性をも斟酌して考えられる将来の予想価額を基準として定めればよいわけである。したがつて、取締役会が新株発行を決議した後に変動した市場価額は、考慮の対象とするのは相当でない。また、発行会社の株式が市場において異常な投機の対象とされ、その市場価額が発行会社の資産内容、収益力および市況を適切に反映せず、企業の客観的価値より高額である場合には、市場価額をそのまま基準として新株発行価額を定めることは、新株主に不公平となるから、これによることなく、発行会社の資産内容、収益力および市況等から企業の客観的価値を考究して決定されるべきであつて、このような場合に、新株発行価額が単に市場価額を下廻つたからといつて、不公正な発行価額とはいえないことはもちろんである。

2  そこで本件について見るに、〈証拠〉を総合すると、訴外会社の昭和四二年一月から昭和四三年一二月までの東京証券取引所における株価は別表のとおりであること、訴外会社が同年六月二九日、同年五月期を無配にする旨発表したところ、同日の株価は金五〇円であつたこと、訴外会社の株式はもともといわゆる浮動玉が多く市場性が高かつたが、同年七月以降たびたびにわたつて、訴外会社について被告その他の有力企業による株式買占めや業務提携の噂が巷間に取沙汰された結果、訴外会社の株価は、投機的な思惑から大量の買い注文が市場に出されて徐徐に上昇し、同年一二月には急騰して同月二四日金一四四円になり、そのすう勢が引継がれて翌四四年一月九日の前記株価となつたことが認められる。

3  つぎに訴外会社の資産内容および収益力を見るに、〈証拠〉を総合すれば、訴外会社は、テープレコーダー、ラジオ受信機、ステレオ等の電気機器の製造販売を業とし、本件新株発行にいたるまでは発行済株式総数が一二〇〇万株(額面一株金五〇円)であつたこと、訴外会社発表の営業報告書によると、昭和四三年五月三一日の決算期(昭和四二年一一月一日から六か月間)において、純資産(退職給与および賞与の各引当金を除く。以下同じ。)は金七億六四五四万五一七四円、一株当りでは金六四円弱であり、当期利益は金一七〇六万二一二三円にすぎず、株主配当はなかつたこと、また同年一一月三一日の決算期においては、純資産は金七億九一八二万三六九二円、一株当りでは金六六円弱であり、当期利益は金二七二七万八五一八円であつたこと、右各営業報告書中の資産には、棚卸資産およびいわゆる子会社等に対する投資に評価損を計上すべきものがあり、土地の再評価による評価益を加えても、訴外会社の純資産の額は営業報告書の数字を若干下まわることがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。

さらに、当時の市況について見るに、本件口頭弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第一八号証、証人桑本真八郎の証言を総合すると、訴外会社と同種の事業を営み業態も類似しているスタンダード工業株式会社およびクラウン株式会社の各株価は、昭和四三年七月から同年一二月にかけて下落気味であること、訴外会社の昭和四三年一一月期と昭和四四年五月期の売上高の合計は、金八四億〇六〇〇万円、営業利益は金一億二〇〇〇万円であつてこれを前前期および前期の一年間(昭和四二年一二月から昭和四三年一一月まで)と比較すると、売上高において四億〇二〇〇万円増加しているが、営業利益では、金七四〇〇万円減少していること、スタンダード工業株式会社の昭和四四年九月期(昭和四三年一〇月から昭和四四年九月まで)の売上高は金八二億二三〇〇万円、営業利益は金二億七三〇〇万円で、その前期一年間と比較すると、売上高において金九億九八〇〇万円増加しているが、営業利益においては金四〇〇万円の微増にとどまること、クラウン株式会社の昭和四四年五月期(昭和四三年六月から昭和四四年五月まで)の売上高は金八四億〇八〇〇万円、営業利益は金五億二二〇〇万円であり、これを前期一年間と比較すると、売上高において金一五億五二〇〇万円、営業利益において金一億五一〇〇万円それぞれ増加していることが認められる。右認定の事実によると、訴外会社の営む事業における市況もそれほど好調ではなかつたということができる。

4  前記2および3で認定した事実を考えあわせると、訴外会社の昭和四四年一月九日の株価は、異常な投機の対象となつて形成されたもので、訴外会社の客観的企業価値を反映しているとはいえないから、訴外会社の新株発行価額金七〇円が右時価の半額以下であつたとしても、この事実のみをもつてしては、右発行価額が著しく不公正であるということはできず、これが公正か否かについてはさらに検討を要する。

5  〈証拠〉によると、訴外会社は、昭和四三年当時は経営状態が悪く、同年五月の決算期において株主に対する利益配当もできず、そのままでは業績の好転が期待できない状況にあつたので、これを打開するため有力企業との提携を求める方針をとつたこと、この方針にもとづき、訴外会社と被告との間に資本参加を前提とする提携の話合が進められ、結局、訴外会社は倍額増資を行い、新たに発行すべき株式一二〇〇万株をすべて被告が引受けることになり、引受価額につき双方の協議折衝がなされた上、本件新株発行が行われたことを認めることができる。

かように、特定の相手方との間の企業提携の方法として新株の発行がなされる場合には、一般の投資を求める場合と異り、新株の発行を成功させるために、引受先との間で予め引受価額を含む発行の条件について協議しその承諾を得なければならず、この点で、いわば相対の取引に類する面をもつといえるが、この場合、相手方は通常企業の客観的価値に着目するものであり、自らの資本参加による提携が株価の高騰をもたらすとしても、これを加算した価額による引受は肯んじないであろうし、この相手方の要求は取引の通念に照らし不合理なものとはいえず、発行会社においてもこれを無視し難いものと考えられる。そして本件のように、企業提携の見込を反映して既に株価が高騰している場合には、その影響を受けない時期における市場価額が通常はその企業の客観的価値を反映していると見られるのであり、決定された発行価額と高騰した市場価額との間に差があつても、それが企業の提携に影響されない時期の市場価額ないし企業の客観的価値を基準として適正に定められている限り、不公正な発行価額とはいえないと考えられる。

6  さきに2で判示したところによれば、本件新株発行前における訴外会社の株価の推移は別表記載のとおりで、このうち、昭和四三年六月までのものが、被告を含む有力企業との提携の噂に影響されない市場価額と考えられ、前掲乙第一八号証によれば、昭和四三年六月から遡つて一年間の毎取引日の平均終値は金七一円弱であることが認められる。一方、3において判示したように、昭和四三年五月および一一月における訴外会社の一株当りの純資産は、それぞれ金六四円および金六六円を割るものであり、その他当時の市況ないし会社の収益力に関しても訴外会社にとつて好材料とすべきものは認められない。

7  〈証拠〉によれば、本件新株の引受価額の協議は昭和四三年一〇月中旬ころから始められ、被告は訴外会社の企業としての客観的価値に対する厳しい評価にもとづき一株金五〇円までを主張し、金七〇円ないし金八〇円を希望する訴外会社との間に意見の食い違いがあつたが、折衝の末、同年一一月末になつて一株金七〇円で話合がまとまり、これにもとづき本件新株発行に関する訴外会社の取締役会の決議がなされたことが認められる。

本件新株発行はかようにして決定されたものであるが、右の価額は、前段に述べた被告との提携による影響を度外視した場合の一年間の平均株価および企業の客観的価値からする株価にほぼ一致するものといえるのであつて、右取締役会の決議の直前の株価との間に著しい差があるとしても、本件新株発行の特殊性に鑑みると、5に述べた理由により、いまだ商法第二八〇条の一一第一項にいう著しく不公正な発行価額とはいえないと考えられる。

四よつてその余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(安岡満彦 井関浩 広田富男)

(別表)

アイワ株式市価推移

始値

高値

安値

終値

42年 1月

72

82

68

79

2

79

91

72

87

3

88

88

75

75

4

75

82

72

76

5

76

80

72

73

6

74

79

71

76

7

76

80

73

77

8

75

78

64

67

9

67

68

60

63

10

63

81

63

80

11

79

80

56

68

12

66

70

61

70

43年 1月

65

70

65

69

2

68

75

65

70

3

70

70

60

66

4

67

72

65

71

5

72

98

68

82

6

81

85

50

51

7

50

98

50

98

8

96

96

76

78

9

78

100

70

86

10

83

94

73

90

11

90

99

80

99

12

99

144

99

142

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